中野通りと早稲田通りの交差点近くにある老舗ラーメン店「つけそば栄楽」(中野区新井2)が12月21日、55年の歴史に幕を下ろした。
店舗シャッター前の貼り紙には「お客さま各位、55年間、一代で店を守り続けた店主が急病のため、大変唐突な苦渋の決断ですが、閉店する経緯となりました。長年に渡り『栄楽』をご愛顧、支えていただいたお客さま方には心より感謝、御礼申し上げます。誠にありがとうございました。平成24年12月、つけそば栄楽」と記されている。
11時の開店からいつも行列を絶やすことのなかった同店は、もともとは阿佐ヶ谷栄楽(後の「阿佐ヶ谷丸長」)系で、東池系大勝軒系も元をたどれば丸長系。この阿佐ヶ谷栄楽から独立した料理人と共に中野大勝軒に来たのが東池系大勝軒初代大将の山岸一雄さん。後に山岸さんは1954(昭和29)年、中野大勝軒の店長になり「特製もりそば」をメニュー化したが、そもそも「もりそば」は阿佐ヶ谷栄楽の賄い飯で、湯切りした後に余った麺を集めておき、後で従業員が食べていたらしく、それを改良したものを中野大勝軒で売り物にしたと山岸さんは語っている。同店は、阿佐ヶ谷栄楽からののれん分けで独立したのが1958(昭和33)年11月。中野のつけ麺の歴史とともに歩んできた。
常連客の一人は「いつかこんな日が来ると思い、頻繁に食べに行っていたたが本当に急だった。あの、あっさりしているけど、パンチの効いたつけ麺は他に思い当たらない。いつか復活することを願うばかり。長い間、お疲れさまでした」と肩を落とした。つけ麺発祥の地とされる中野のカリスマ店を失った影響は大きい。