旧中野村の総鎮守社である中野氷川神社(中野区東中野1)の例大祭が9月17日と18日、開催される。
中野サンプラザを横目に中野通りを南下する打越町会らの連合みこし(昨年の様子)
毎年恒例となっている中野氷川神社の祭礼は、各町会からみこしや山車(だし)が出て街を練り歩く、由緒あるお祭り。現在の中野区は江戸時代の12の村の集合体で、中野村・本郷村・雑色村・江古田村・片山村・上高田村・新井村・上沼袋村・下沼袋村・上鷺宮村・下鷺宮村、本郷新田村(本郷村から分離)から成り、1932(昭和7)年にそれぞれ村が合併した中野町と野方町がさらに合併し誕生したが、同例大祭は旧中野村のお祭りという位置付け。
旧中野村内の氷川、小瀧、川添、小住、鍋横、打越、文園、橋場など同神社の氏子36町会のうち、約20ものみこしが登場。2日目の午後には青梅街道や山手通り、中野通りや早稲田通りなどの大通りの片側車線を使って数基の連合みこしなどもそれぞれ行われるほか、中野サンモールや中野ブロードウェイ1階なども旧中野村内に立地しているため、みこしが練り歩く。なお、子どもみこしは初日に実施する町会がほとんど。また最近では、外国人観光客などを含めみこし担ぎへの参加者を増やすための試みとして、お祭り当日に神酒所で町会のはんてんを貸し出しているところも多い。
2日間にわたり同神社境内にある神楽殿では狂言や歌謡大会などが行われ、露店なども多く出店される。
中野氷川神社の祭神は素佐之男命(すさのおのみこと)・奇稲田姫命(くしなだひめ)・大己貴命(おおくにぬし)。創建は1030年といわれ、後一条天皇の御宇、源頼信が平忠常征討の際、武蔵国一宮大宮氷川神社より勧請(かんじょう)したもの。1477年には、太田道灌が豊島泰経・泰明兄弟討伐の際に戦勝祈願し、凱旋(がいせん)後社殿を造営した。