中野セントラルパークサウス(中野区中野4)地下1階のコンベンションホール「コングレスクエア」で6月18日、「中野四季の都市 ウェルカム交流会」が開催された。
中野四季の都市(まち)は、古くは江戸幕府5代将軍綱吉の時代の「お囲い犬屋敷」、明治時代は陸軍の鉄道隊や電信隊などが置かれ、後に交通兵団司令部も置かれた。その後1939(昭和14)年には陸軍中野学校が開設、戦後は警察庁警察大学校や警視庁警察学校などとして使用されていて、民間には長い間縁遠い場所だった。
2001年には移転に伴い財務省による土地処分が行われ、中野区や民間事業者が土地を取得。東京警察病院に加えオフィスビルや大学、病院などの開発が進み昨年10月には栗田工業などの企業が入居し、レストラン街がオープンした。4月には明治大学や帝京平成大学が中野キャンパスを開校、キリングループは国内本社機能を集結、チューリッヒや損保ジャパンなどが続々と入居している。8月には三菱東京UFJ銀行のシステム部門約4,000人などを含め多くの企業が入居予定で、来年4月には早稲田大学国際コミュニティプラザがオープンする。
同イベントは区内商工団体の東京商工会議所中野支部、中野法人会、中野工業産業協会、中野区商店街連合会、中野区しんきん協議会、中野区観光協会、東京中野ライオンズクラブの7団体のトップが世話人を務める。7団体が協働した事業は初。
世話人会代表で東京商工会議所中野支部の麻沼雅海会長は「ようこそ中野にいらっしゃいました。われわれ従来から中野で活動をしている地域の事業者一同は期待に胸を膨らませ、お待ちしていた。皆さま方には大いに交流を深めていただき、この交流会が今後のさまざまな分野での協力・連携・協働を図っていただくきっかけづくりの場となれば幸い。それが、この交流会の発起人である世話人会一同の心からの願いです」と話した。
麻沼会長は「規模や業種の垣根を越えて、皆が共に持てる力を存分に発揮し、中野における地域活性化に向けて共に手を携えていくことができたら、大変うれしく思う。そして、この大きな力が、中野から東京の活性化につながり、ひいては日本全体の活性化に結び付くことを願う。これからの中野は西武線沿線、中野駅南口、統廃合した学校跡地の再開発など、まだまだ明るい未来がある」と付け加えた。
同交流会には四季の都市参入企業・大学関係者・医療機関など約30社約90人と、区内商工団体7団体関係者と会員約300人、来賓やスタッフ合わせて400人以上の参加となった。来賓として田中大輔中野区長、松本文明衆議院議員のほか、丸井グループ青井浩社長、区議なども参加。登壇した田中区長は「今、中野のまちは大きな飛躍を遂げようとしているが、賑わいの一方で交通、消費行動などに不都合を感じたら何なりとお伝え頂きたい。行政としては、皆さまが気持ちよい環境の中で創造的、クリエイティブな活動を行えるよう意見や知恵を拝借したい。そして中野には、小さくともきらりと光る優れた企業も多く、ぜひ事業面でも連携できれば」とコメントした。
招待企業の代表としてキリンホールディングス三宅占二社長、栗田工業中井稔之社長、明治大学日高憲三理事長、帝京平成大学冲永寛子学長があいさつを述べ、同エリアにある2つのビジネス棟の代表であるキリンの三宅社長と栗田工業の中井社長は口をそろえて「このような歓迎はかつて受けたことがない。地域との更なる連携を推進し、中野の一員として新しい中野を皆さまと共に創造したい」と話した。
そのほかJCN中野による中野イメージビデオの披露、中野区観光大使の紹介、全参加者による名刺交換会などが行われ、東京中野ライオンズクラブ五味道雄会長は「次回もまたいづれこのような企画で皆さまとお会いしたい」と締めくくり、交流会はお開きとなった。