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「つけ麺」発祥の地「中野大勝軒」が65年目 坂口大将、故・山岸大将やつけ麺60年を語る

「つけ麺」発祥の地「中野大勝軒」が65年目 坂口大将、故・山岸大将やつけ麺60年を語る

まだ「特製もりそば」がメニュー化されていない1954(昭和29)年ごろの中野大勝軒

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 つけ麺発祥の地とされる中野大勝軒(中野区中野3、TEL 03-3384-9234)が12月29日、誕生65年目を迎えた。

だっこされる坂口大将と故・山岸一雄さん(中央)

 阿佐ヶ谷「栄楽」で修業をしていた故・坂口正安さん(現在の大将である坂口光男さんの父)が、「つけ麺」生みの親となった故・山岸一雄さん(東池袋大勝軒の初代大将)と共に独立し、中野大勝軒を作ったのが1951(昭和26)年12月。場所は中野区橋場町(現在の中央5丁目付近)で、まだ戦後の雰囲気が残るマーケットのバラック建ての露店だったという。当時、坂口正安大将には子どもがいて、安心して家族が暮らせるようにと、1955年(昭和30年)2月には住居と店が一つになった代々木上原大勝軒を作ったため、中野大勝軒は山岸さんが店長を任され、その年の4月1日から新メニューとして「特製もりそば(後のつけ麺)」をメニューに加えた。

 昨年、考案60周年を迎えた「特製もりそば」は、「そもそも阿佐ヶ谷栄楽の賄い飯で、湯切りした後に余った麺を集めておき、後で従業員が食べていて、それを改良したものを中野大勝軒で売り物にした」と、後に山岸さんは語っている。現・中野大勝軒の坂口大将は「一雄さんが命名した『特製もりそば』の『特製』の意味は、スープの中に特別の具材が盛りだくさんで入っているとか、スープを別にこしらえてあるとかのものではなく、日本そば屋でお品書きにある、そば粉で作ったそばの『もりそば』と間違えて混同しないようにとの配慮だった。あのころはラーメンではなく『中華そば』だったから、必然的なネーミングだったかもしれない」と話す。

 中野大勝軒で「特製もりそば」が誕生してから3年後、「手間がかかる」「水道代が多くかかる」などの理由で「つけ麺」をメニュー化していなかった代々木上原大勝軒でも故・坂口大将がメニュー化し、名前を「つけそば」とした。「そば屋をよく知る父は、新しい時代のネーミングをと、つけて食すことから『つけそば』と命名した」と坂口大将。

 1961(昭和36)年に中野大勝軒の店長だった山岸さんが独立して東池袋大勝軒を作った関係で、代々木上原大勝軒と中野大勝軒はもともと同じ経営だったため、中野大勝軒も「つけそば」というメニュー名となったことから、中野大勝軒などは「つけそば」、東池袋大勝軒やのれん分けした子や孫店舗などは「もりそば」という名前でメニュー化しているところが多い。中野大勝軒は1974(昭和49)年に、現在の中野区中野3丁目に移転した時から、店名に「つけそば専門店」と正式に付けたという。なお、「つけ麺」という言葉は1973(昭和48)年ごろに「つけ麺大王」が使ったのが最初といわれている。

 昨年4月に亡くなった山岸さんについて、現在60歳の坂口大将は「物心ついたころからかわいがってもらった。昭和30年代から大勝軒の従業員、私たち家族と一緒に春は潮干狩りや花見、慰安旅行、夏は海水浴に行ったり、新年会や野球大会などで顔を合わせたりした。毎日会っていたわけではないが一雄さんはいつも身近に感じて大好きな人だった。中学生ごろ親には反抗していたが、一雄さんに会うとそんな自分が恥ずかしく思えたのを今でも覚えている。この道を歩むことになり、彼が自分のお手本になったのは言うまでもない。そんな自分の気持ちもあり、仲人もお願いした。20代のころはよく店に通っていた」と懐かしむ。

 昨年10月に発覚した東池袋大勝軒系列の「大勝軒のれん会」と「大勝軒 味と心を守る会」の分裂騒動について坂口大将は「本家としていろいろ手を尽くしてみたのだが、うまく収集させることができなかった。結果的に『大勝軒のれん会』は『丸長のれん会(1947年に荻窪にできたラーメン店「丸長」を中心として、のれん分けした「栄龍軒」「丸信」「栄楽」「大勝軒」などが作る会)』を退会し、『大勝軒 味と心を守る会』は加盟するという形となった。今回の騒動、一雄さんが聞いたらどう思うのか、考えただけでも胸が痛む」と話す。

 メニューは「肉入り」「豚バラ」などの伝統的な「つけそば」のほか、最近では「ココナッツつけそば」などの新しい味にもチャレンジし、中野区商店街連合会とコラボした「中野つけ麺味めぐり」への参加、中野駅開業125周年記念とコラボした駅弁提供など、地域の経済団体との連携も進めてきた坂口大将。「大勝軒の中で一番歴史があり、つけ麺発祥の地でもあるこの中野大勝軒。これからの日本は総人口の減少と高齢化が深刻になり、また就労人口不足などで私たちに限らず商売はますます厳しくなっていくだろう。同じ志を持つ人たちと共に知恵を出し合い、明るい未来へ前を向いて歩んでいかなければならない」と話す。

 「味の嗜好(しこう)が時代とともに変わっていくこともあり、道を究めていくのも難しいことだが、迷えば元の道に引き返せばいいと考えている。お客さまと向かい合うだけの仕事でなく、働き掛けて横並びで一緒に共同体をつくることができれば素晴らしいこと。開店以来、これまでに多くのお客さまに来店いただき感謝している。気がつけばとても長い道のりを歩んできたが、皆さまのおかげで今日があると実感している」とも。

 現在中野区内で「つけ麺」を提供しているのは100店舗前後あり、「レジェンド」中野大勝軒の半径30メートル内にも5店舗がひしめく激戦区だが、伝統的な味とチャレンジ精神で常に勝負していくという。

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